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ゴルフ日記 1997年
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1997年12月28日(日)
昨日と今日で今年のゴルフも終わった。20,21日のクリスマス決戦も無事乗り越えて勝ち金を増やし、今週に備えた。
何の事は無い、強敵・高橋さん(仮名)は風邪をこじらせて二週間欠場だし、残りの二軍はとても不甲斐が無く私は簡単に勝った。今日はその勢いでAfter Christmas Saleへ行ってきた。
今年は夏にハンディが下がって6になった時は調子が良かったけどBetは苦しかった。その頃よく昼間に練習したが、11月に10になり12月は9になった。
このあたりが稼ぎ時となり、丹羽さん、忽那さんに大きく勝ち越した。高橋さん(仮名)には逃げ切られた。
来年は名実と共にシングルとなりゲーム内容も向上させたい。丹羽さんの進歩がすごいし、長い間レッスンを取っていた忽那さんがジミー先生に遂に破門?された。まあ、いずれは出てくる??かもしれないから油断は出来ない。
皆様良いお年をお迎え下さい。
1997年12月12日(金)
アメリカは11月末の感謝祭を過ぎるとクリスマスムード一色となる。クリスマスツリーも売り出され、人々は一年で一番お金を遣いクリスマスプレゼントを買う。
アメリカの消費を底支えしている、今年のクリスマス商戦はどうなるか気になるところ。
東京から山の手の母が友達二人を従えてやって来た。ゴルフもするし買い物、寿司屋と案内し、喜んでもらってる。・・・と思う。
訪ねて来てくれて我々もうれしい。だけど、その間、いつもの連中とゴルフが出来ない。
クリスマスショッピングのお金を稼ぐ為に早くやりたい。
1997年11月29日(土)
昨日はAfter Thanks Giving Day、クリスマス前の大バーゲンの日、快晴19度
女性はデパートにバーゲンハントに出かける日。デパートは朝の7時頃から開店で大混雑、本日もバーケン続行中。
一昨日の負けを取返すべく行きごんで出かけた。久しぶりにスタート前の練習もし朝ご飯も沢山食べスタミナを
をつけた。第一ホール第三打をヘッドアップでオーバー「最低」のスタート。どうも気負っている。第二ホールも
第二打をトップ、なんと5オン1パットのダボ。忽那さんに早くも2ダウン。気を取り直そうと
したがドライバーをトップ最悪。何とか3オン2パットのボギー。忽那さんはドライバーと
第三打をミス、パットもミスでトリ。「最悪」が乗移ったか?その後3連続勝。9番は406ヤード上りの難関ホール
ドライバー、第二打(3番アイアン)も絶妙で2パットのパー忽那さんはパットも乱れ、48の多叩き。
前半を2アップで折り返し。後半は忽那さんも乱れたが私はもっと乱れ「最悪」それでもなんとか16番まで
17番は第三打を左にミス、忽那さんは第三打をバンカーこれで勝と思いきや、ジミー先生がパトロールで
現れ、忽那さんは破門されないようにと思ったのか絶妙50ヤードバンカーショットでピン3メーターによせ。
それを見て気負ってしまい、6メーターショートの4オン、パット強めに打ったが入らず。忽那さんは絶妙に打ち、
ナイスパー、1ダウン。18番は勝てば10枚、引分けでチャラ、負ければ5枚負けの大勝負。
忽那さんはナイスドライブ230ヤードで残り180のかなりの上り、私は置いていかれる所、30ヤード。
3番ウッドでうまく打ちグリーン手前8ヤード。忽那さんはグリーン手前のラフ。
私が先手必勝とばかりに突っ込みスピンがうまくかかったが、効きすぎで手前4メーター、ところが敵はうまく打ち、
第三打をチップで10cmに寄せOKパー。4メーターを入れに行ったが入らず、5枚マイナス。悔しい。丹羽さんにも負けた。
来週から母が友人と日本から来るのでいつものグループとは2週間出来ない。
その間調整をし12月20日に備えたい。
1997年11月27日(木)Thanks Giving Day 休日、 快晴20度
今日はThanks Giving Day 感謝祭の休み。前夜の雨も上がり快晴。アメリカ人にとってクリスマスに次ぐ大事な休みなのですいていてのどかな感じであった。
愛妻Hirokoがぎっくり腰のため欠場し、高橋さん(仮名)が日本へ出張中なので、丹羽、
忽那さんと三人でのんびりやった。
忽那さんとは5枚ナッソー4Way(前半5枚、後半10枚、全体5枚)とニアピンで負けた-24枚!!!
前半イーブン、後半接戦、16番ショートでバーディー取ったから勝ったと思ったら、彼もダフったとか言いながら入れた、なんてことだ。17番ロングの第三打、彼がシャンクしたので勝ったと思ったら寄せてパーの同点。
遂に追いつけなかった。何とニアピン4つ取られた。85対83。
丹羽さんには+1。
あさって土曜日に期す。
1997年11月24日(月)曇天
月曜日だが特訓、従兄弟の陽一郎と叔母の澄子、その友人岡田さんとプレー。1,2番7(パー5)と7(パー4、ロストで)で出たが、アウト43、イン38だった。
後半は1バーディー(402ヤード、パー4でパーオン1パット))2ボギーの成績。故あって来週からウィークデーの特訓が出来なくなる。ある意味ではうれしい。
1997年11月23日(日)
1番出だしで7(パー5)第三打をバンカーに入れオバーし5オン2パット、
第2ホールは445ヤード、ハンディキャップ1の難ホール第二打をグリーン手前30ヤードに持っていった。
第三打絶妙のアプローチスピンも良く効いてチップインのバーディー忽那さんは嘆くこと!その後快調に飛ばし
飛ばし1バーディー3ボギー、2ダボで41(前半はパー35)忽那さんに3アップ。後半は出だし2ホールバーディー、
4ボギーを打ったが
2バーディーで1オーバーパーの37で合計78忽那さんに3アップ。
完勝の+25枚やったぞ勝った!!。78対83。
1997年11月22日(土)快晴。すごく暖かかったから半ズボン。
前半39(4オーバー)と良いスコアーだったが、忽那さん
40でハンディーを差し引けばタイであるはずが2ダウン。
後半は一進一退で17番までタイ、勝負は18番にかかってきた。
ドライバーは今一で第二打を刻みアプローチに賭けた。忽那さん
絶妙のアプローチで2メーター下につけた。
うまく打ってピンハイの1.5メーター、フックラインの難しいパット強めに打ったが外れ、忽那さんはイン敗北。-23枚負けた!不満である。82対81。
1997年11月16日(日)
今週は土日で7枚勝ち越した。遂にプラスが45枚になった。
日記を付け出してから調子がいい。このまま年末まで逃げ込みたい。
1997年11月9日(日)
又、勝っていた。途中までナッソーをストレート勝ちの雰囲気だった。そしたら忽那さんが頑張って後半のダブル
をかろうじて勝ってタイに持って来たので結局今日の勝ちはニアピン4つ(全部)のみとなった。それでも勝つには勝った。
所がではある、卑怯にも忽那さんもう一ホールやろうと言って来た。可哀相だから受けてあげたら、図に乗って一ホール
5ドルにしようと言う。うまくしたら一ホールだけ勝ってプラスに持って行こうとの浅ましい根性が見え見えである。
そういう根性は真っ直ぐに直してやらねばならない。まして、いやだと言っては
恐れてシッポを巻いたと思われかねない。世間に何を言うかも分かったものでは無い。E-Mailであちこち友達に日本まで、
都合良い様に言いふらすだろう。そうなっては江戸っ子・山の手の名がすたれる。何を、こんな奴に負けてなるものか。
とは思ったものの、結局は受けたはいいが、もう少しで
バーデーを取られ、$10いかれる所だった。流石に気が引けたのか、たった1mのパットを外した。やっぱり奴は
うまくない。でも差し引き$1取られた。たまには餌を撒かなくてはならぬと我慢した。
むしゃくしゃしたのを晴らそうとサンタモニカ・プレースでラルフ・ローレンのシャツを買おうとして歩いていたら
又、どうした事か忽那さんに会ってしまった。とんでもない一日であった。
1997年11月5日(水)
すらすらと万年筆でその書類にサインしたら社長がにこにこして握手を
求めて来た。契約は完了した。今後、私はビッグバーサーを使い、タイトリスト・ボールを使う。
靴はナイキでシャツもズボンも支給される。テレビにも出なくてはならないが
友達や家族が喜んでくれるだろう。契約金をどこの銀行に預けるか迷う。これは
嬉しい悩みだ。プライベートジェットで日本へ飛ぶ時間が来た。タイガーと一緒に
エキジビションをやるのだ。シートベルトを締めてくださーいーーー。
良い気持ちだなー。誰かがぺろぺろ私の頬を舐める。
様子がおかしい。おや、ブランディーが又良い夢を覚ませた。でも先週末は本当に
調子が良かったなー。この週末が楽しみだ。
1997年11月2日(日)再び30度の暑さ。カタリナがくっきり見えた。
今日は頑張った。忽那さんからRespectを取り戻す為にも。忽那さんの出足が奇跡的良かったので3番が終わって1ダウン。4番のショートで二人とも左に外したが忽那さんの方が少し近い。
ここで負けたら雰囲気としてずるずる行かれそうだったので何とか近くに寄せてパーをセーブしなくてはならない。
恐いからいつもの様に目をつむって打った。そしたらうまく打ててすごく近くに寄ってOKパー。皆が驚いた。ハハハ・・
忽那さんがぶつぶつ言うから「入れたら勝てますよ」と言ってやった。
そしたら目を開いたままうまく打って本当にノーズロで入れてバーディー。何たる事か。これはあんまりだ!
このホールで二つ負け-3となった。
今日は全部出来そうにないが沢山勝ちたいたいので、忽那さんとは大きい3枚/holeにしていた。
裏目に出たらどうしよう。このまま負けたら折角水面上に出てきたのに又、水面下69mくらい沈んでしまう。
昨夜の周囲の心配が現実になるのか。私もここでいよいよお終いかと思った。
でも今日はノビさんが来ているし、
丹羽さん、高橋さん(仮名)も居るいわゆるオールスターキャスト
であるから頑張らねばならない。
ここは江戸っ子の意気を示さねばならない。おまけに私は高級住宅街「世田谷・野沢」の出身である。
忽那さんが変な事やるから調子が狂ったが、よく考えると私の調子はとても良い。
忽那さんと共にここまでイーブンパーではないか。
ここで私は密かに神に祈りを捧げた。慣れて無いから誰に祈って良いか分からなかったが、まず取り敢えずは
ここはアメリカだからイエス様、そして私は日本人だから仏様、周りにはユダヤ人が多いから
ユダヤ様、ついでに天照大尊様と最後になって申し訳ないがご先祖様、追加でキャロウエー様にも。
全ての神様に祈った。そして祈りの仕上げとして、いつも首に下げている数珠にそっと手を当ててつぶやいた、
「何とぞここで忽那さんを始め、宿敵をやっつけさせてくれ」と。
祈りの甲斐あって、神懸かり的ショットがどんどん出て、さらにスコアーを伸ばし、結局前半は自己最高記録のイーブンパー35で回った。
忽那さんはよく着いて来たがそれでも5打も離れた40、それ以外はずーっと離れて見えない蚊帳の外。
記録によると高橋さん(仮名)42、ノビさん45、
丹羽さん47であった。何でこんな人たちに今まで負けていたのだろう。
あまり可哀相だから、あと2ホールくらいやって少し返してやろうと思った。
彼らはもう帰れと言う。私の好意が分からないのか
私は本来Peaceful Manである。弱いもの苛めは趣味でない。
しかし、どうだろう。やってみると又勝っちゃう。その気は無いのにどうしても勝ってしまう。私の
好調は誰にも止められない。A messenger from God.
結局、悪かったけど10と11とで更に勝ちを増やした。それをマーシャルのマイクに見られない様、
12番ティーでばっちり頂いて素早くサイナラし、
心配して待っている愛妻・Hirokoに合流して、
ミックスに出るためカートで戻った。
風まで清々しい。良い気持ちだった。その後は泉ご夫妻と平和なゴルフをやった。
私にやれない事は無い。自信を持った。
あのまま続けていたら68くらいが出せたのではないかと思う。心なしか周囲の目に私への尊敬の色が
見られる。特に忽那さんからRespectのこもった目で見られたのはとてもうれしかった。
1997年11月1日(土)何と30度の暑さ。晴天。
今日は記念すべき日だ。うれしいから今日から日記をつける事にした。
まずスコアーが81。17番(パー5)で8をたたいてだからまあ良い。何よりも、
今年ずーっと負け越してきた忽那さんに遂に勝ち越した。今日、22枚勝って本年通算を+3としたのだ。ピークで-69まで行った時はどうしようと思った。
その時は秘密だが、「佐々舟」を一回キャンセルしてしのいだ。
宅急便・高橋さん(仮名)に負けるのはしょうがない点がある。
何故なら彼の方がうまいからだ。
しかし
忽那さんに負けるのはどうしても納得が行かなかった。何故なら彼はうまくないからだ。少なくとも私ほどはうまくない。
ジミー先生も忽那さんに「私のスイングを見習えと」言っているがでも何故か負けた。たかだか数枚だが気に食わなかった。
これで良く眠れる。余勢をかって明日、一気に勝ってやろうと思う。でも負けたらどうしよう。
愛妻・Hirokoは明日は午後からのミックスだけにして
泉ご夫妻と平和にゴルフをしようと忠告してくれる。強い仲間とはやるなと言う。
何せ、女は小心だから困る。
私の実力はいつになっても理解されない。身内からも。I Got No Respectの巻なり。
ブランディー
には分かってもらえると思う、私の気持ち。いやどうかな?
それを考えていたら眠れなくなりそうだ。
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