ライダーとしてのウェインは、じつにながいキャリアを積んできた。6歳ではじめてバイクに乗り、9歳からレースをはじめた。バイクに乗ることは、ロサンゼルスの子供たちにとって、ごくあたりまえの人気のある遊びだった。父も母も子供も、そしてその友だちも、みんなバイクに乗っていた。はじめて出たレースでは、プラクティスのとき緊張のあまり漏らしてしまい、着替えをしなければならなかった。
 16歳でライセンスを取り、ハイスクールに通いながら、ダートトラックレースに出場しはじめた。ダートトラックレースとは、土をコンクリートのように固めた楕円形のコースの土の上でおこなわれる、アメリカ独特のレースのことだ。史上初の3連覇を達成したケニー・ロバーツをはじめ、エディ・ローソン、ケビン・シュワンツといったアメリカのライダーたちが、ロードレースの世界で数々の偉業をなしとげることができたのは、氷のような路面でバイクをスライディングさせて走らせる方法を身につけていたからだ。
 ライセンスを得たウェインはレースのための援助を親から仰げなくなった。16歳という年齢は、アメリカでは経済的に自立すべき年齢だと考えられている。バイク部品店でのアルバイトや、大工をしていたサンディの手伝いをして、レース活動のための資金を稼いだ。16歳のときには、52のレースに出場し、50勝をあげた。17歳のときには、45戦のうち40勝した。夏休みには、1週間に5日間レースに出た。トラックにバイクを積み込み、友人とふたりでアメリカ中をまわる。カリフォルニアはもちろん、東部、中西部まで。そうしたダートトラックの経験は11年にもおよび、アスファルトの路面を走るロードレースに転じたときには、新しいバイクを操ることなど、彼にとっては造作もないことだった。
 血と肉のようにその身に染みついたレースを生きる歓びは、いかにいまの彼が思い切ろうとしても、思い切れるものではなかった。あの山の家で、ふと彼の口からこぼれてきた言葉が、いつまでも胸の奥で鳴りつづけている。
「今年、オーストラリアのフィリップアイランドに合同テストに行ったとき、こらえきれなくなって、ついに泣いてしまったんだ」
 と彼は言った。
「ミック・ドゥーハンが走るのを見ていたんだ。ミックがコーナーに進入していく。彼がどんな気持ちでこのコーナーを走っているのか、僕にはよくわかる。すると自分がこのコーナーを駆けぬけていったときの感覚が、まざまざと蘇ってきた。このコースが好きだった。バイクに乗るのが、ほんとうに好きだった。これが好きだったんだ、これこそが僕の歓びだったんだ.....と、もう手の届かない楽しみが恋しかった。ときどき、そう思い出すことがある」
 うなりをあげて走るマシンの地響きが、その彼の麻痺した両脚に伝わってきたというのだろうか。
 マレーシアからもどり、第2戦がおこなわれる鈴鹿へ行ったとき、私はそのことをドゥーハンに伝えた。 大きく見開かれた眼窩の奥の、吸い込まれるようなブルーの瞳を、彼は一瞬しばたたかせながら、ゆっくりと顔を左右にふって、
「傍観者でいなければならないことは、つらいことだと思う。僕も怪我をして、たとえばつぎの週に走れる ことがわかっていても、レースをただ見ていなければならないのは、つらいことだった。ウェインがそういう眼で僕を見ていてくれたことは、嬉しい。僕らはずっとレースで闘いあってきた仲だ。ウェインのなかには、まだ走ることへの情熱があるはずだ。ライダーを退いて、自分の経験をレースに還元しているわけだけど、僕の場合、走ることをやめたあとに、彼のようなことができるかどうかはわからない」
彼の顔には、不思議な陰影が宿っている。青空に映える水面のような両眼は、その明るさのわりには、こちらを照らそうとはしない。31歳、すっかり白髪頭だ。あの大腿部骨折の事故のとき、一気に増えたのだった。タコだらけの手のひら、異常に短い爪、左の小指の爪は跡形もない。
「ウェインのあのアクシデントが、かなりひどいものだと聞かされたときには、正直いってレースをやめることも考えた。1年まえには僕も脚を失いかけたし、こんどはウェインが下半身を失ってしまった。2週間というもの、胃が痛くなってしまった」
 ドゥーハンは思いがけない話しをする。
「たぶん自分の身に降りかかったことと、ウェインを襲ったアクシデントで彼がどうなってしまったかを、 オーバーラップさせて考えてしまったのかもしれない。これ以上は危険じゃないか.....ひどく深刻になっていた。つぎのラグナセカでコースに出たとき、自分の気持ちが不思議と落ち着いていたから、この先も走りつづけていけると確信したんだ。でも、あのとき感じていたウェインへのこころの痛みは、いまでも変わらない。そして尊敬の念も」
 変わったのは、レースに人生のすべてを捧げてきたそれまでの考え方だ、と彼は言った。プライベートの 時間は、ごくふつうの人びとがしているような、ごくふつうの暮らしを楽しむようになった。レース以外の人生にも眼を向けるようになったのが、影響といえば影響だ、と。勝ちつづけるドゥーハンの秘密の一端が、そのあたりに隠れているような気がした。
 1日目の予選を終えた午後である。決勝が2日目に控えていた。
「レースはいまも楽しいよ。今年もレースを純粋に走っていくつもりさ。それぞれのレースで優勝することを目指してね。チャンピオンシップのことは頭にはない。今年で9年目のシーズン、ずいぶん長いこと走りつづけてきた。レースの優勝に神経を集中させていないと、むずかしくもなってきている。7戦目か8戦目を過ぎた段階でいいポジションにつけていけば、チャンピオンシップのことも考えはじめるだろうけど、いまの僕にとっては、チャンピオンシップは遠すぎる。とれたらボーナスみたいなものさ」
 ウェインは彼に、ずいぶんと大きな贈り物をしたようだ。グランプリの魔界を錐揉みするように生きてきたウェインが、生きぬいた果てに産み落としていったものは、魔界の呪縛を解き放つ鍵をたずさえて生まれ変わった、ドゥーハンとうい新しい怪物だったのではないか。
 決勝の日、彼はまた当りまえのように優勝をとげていった。一時は5秒以上も先行を許していた岡田忠之をじりじりと追いつめ、軽々と抜き去ったあとは独走のままチェッカーを受けた。阿部典史は7位に終わり、セテ・ジベルノは転倒リタイアした。 いつものようにウェインは、ピットの奥で立ち上がっていたが、ドゥーハンの優勝を見届けると、お手あげだとでもいうふうに軽く両手を持ち上げる仕草をして、
「ミックにとっては、きょうは休日みたいなレースだったろうさ」
 と言った。
「僕とケビンとミックがやり合ってたころは、どこでなにをするかわからなかったから、ものすごくエキサイティングだったけど、こういうレースで勝っても、ミックはそれほど嬉しくはないだろう」
 これからながいヨーロッパ・ラウンドがはじまる。きっとウェインは、自分が走ればなにかが起きると、いま、この瞬間も思っているだろう。
 アイルトン・セナについて、彼が話した日のことを思い出す。こころなしか沈んだ表情になって、セナの移籍はわかる気がする、と彼は言った。
「91年、カジバが僕に大きな金額を提示して、移籍を熱心にはたらきかけてきたことがある。あのとき僕は、なにか新しい挑戦を求めていた。ふり返ってみれば、わるい話ではなかったんだ。しかし僕は、ヤマハに残った。たぶん僕にとって、変化より勝利のほうが大事だったということだ。いまにして思えば、変化のほうが大事だったのかもしれない。新しい、まったくちがう人生があったろうから。セナは新しい挑戦を求めて、チームをかわったのだろう、それはわかる」
 しかし、セナは死んだ。あなたは生きた。ふたつを分かつ線はなんなのだろう、と私はきいた。
「ひとは、みな死ぬんだ。ただ、そのときが、僕よりはやかったというだけのことさ。彼は死に、僕は麻痺状態だが、彼の運命はいつかかならずわれわれにも訪れる。なにが起こるか、だれにもわからない」
 初夏を告げるきれぎれの綿雲が、高い空にゆっくりと流れている。ドゥーハンを讃える拍手と歓声が聞こえてきた。ウェインは車椅子にもどり、ピットの隅で頭を垂れている阿部のほうへ近づいていった。