マレーシアの首都クアラルンプールは、亜熱帯特有の熱気と湿度であふれ返っていた。1997年の世界グランプリ第1戦をむかえたシャーラムのパドックには、車椅子のウェインの姿があった。
決勝の日、ウェインはピットの奥に例の背の高い器具を据え、そこに立ち上がっていた。胸元のテーブルには小さなモニターが置かれ、周回ごとに表示されるラップタイムとレースの映像をじっと見つめている。チームのライダーたちがコースで激闘をくりひろげているとき、彼もまた車椅子を離れ、はげしく打ちつづける心拍数と格闘していた。
モニターには、トップで独走をつづけるマイケル・ドゥーハンの姿が映し出されている。現役のころケビン・シュワンツとならぶ強力なライバルであったドゥーハンだけが、いまもなおこうして走っている。92年、ウェインの3連覇に大きく立ちはだかりながら、一時は右脚の切断を医者に決意させたほどの深刻な事故に遭遇したこのオーストラリア出身の男は、翌93年もその後遺症と手首の骨折という新たな怪我に悩まされながらフル参戦をつづけ、94年から3連覇をなしとげた。そして今年、ウェインが目指しながらフイにしてしまった史上初の4連覇を目指していた。
チームの状態がいま一つのためか、表情が冴えないケニー・ロバーツ(左)
今季の成績を考えると、史上初の4連覇も夢ではないマイケル・ドゥーハン(右)
ウェインにとっても、マシン開発にあたるヤマハにとっても、まったくの新体制で挑むシリーズだった。ウェインの師であり、兄弟のような間柄であったケニー・ロバーツがヤマハを去り、それまでスポンサーとして大きな位置を占めてきたマールボロも去った。ウェインはこの2年間、ケニーのもとにレンタル契約として預けていた阿部典史をエースライダーとして迎え、チームを再編成してシリーズにのぞんでいた。
阿部を3年まえにスカウトしたのは、ウェイン自身だった。あの事故から半年が過ぎた1994年の鈴鹿で、全日本チャンピオンとしてスポット参戦した阿部の予選の走りを見た彼は、ひそかに阿部に会い、決勝へ向けてアドバイスを贈った。
「最初の5周はドゥーハンとシュワンツについてゆけ。5周を過ぎたらアクセルを全開にして走れ」
阿部はものの見事に走ってみせた。最後の3周を残して転倒を喫するまで、シュワンツやドゥーハンとはげしく順位を入れ替えながらトップ争いをくりひろげたのだ。ふたたび阿部に会ったウェインは、1週間以内にかならず連絡するから連絡先を教えてくれ、と告げた。こうしてチーム・レイニーとの契約が決まったのである。
阿部はウェイン・レイニーのようなラいダーになりたいと、中学生のころから思いつづけてきた。そのウェインが不幸な事故に見舞われなければ、世界グランプリへの扉はこれほどはやくはひらかなかった。倒れた大木はその幹に新しい苗を育てる。森のなかの絶えざる死と再生の物語にも似て、彼らの出会いは運命的ですらあった。
そのときふたりは、それぞれの場面で苦境に立たされていた。ウェインはあの事故からようやく立ち直り、ケニー・ロバーツの橋渡しでマールボロのスポンサードを受け、チームを結成したが、肝心のライダーが腕を骨折したりして、展望がひらけないまま悶々とした時を過ごしていた。事故の直後、センティネラ病院で手術を受けた彼は、ふつうならリハビリ開始まで半年はかかるというのに、わずかひと月でロングビーチの病院へ移り、猛然とリハビリに励みはじめた。2ヵ月をそこで過ごすうち、特別仕様の車の運転や水泳までもやってのけるようになり、フィットネストレーナーのディーン・ミラーをおどろかせた。それほどまでにして彼は、レースの現場に復帰することを望んでいたのだった。しかし、肝心のライダーに恵まれず、茫然たる思いのもとに、新しい才能の発掘に期待をかけていたのである。
阿部もまた失意のなかにあった。前年、500ccの全日本チャンピオンに史上最年少の18歳で輝いたものの、同時に500ccクラスが全日本から消滅してしまい、目標を失いかけていた。スーパーバイクでレースをつづけていたが、資金難にあえぐチームからは旧型の市販車レベルのバイクしか提供されず、まったく勝てなかった。唯一の生きのびる道として、スポット参戦する鈴鹿に彼は照準をしぼった。いい走りをすれば、世界グランプリへの扉が一気にひらくかもしれない、そう考えていたのだ。
ウェインにとって阿部との出会いは、流れ星をつかむような特別な思いがあった。去年9月、カタロニアのサーキットで、阿部に夢を託したのか、と私はきいた。
「あの事故によって、僕のレース人生に終止符が打たれた。僕は目標を失っていた。そのとき阿部を見たんだ。こいつとならレースを楽しめるんじゃないか、そう思った。レースの世界にもどろうと思ったんだ」
彼はそう答えた。
シャーラムのレースでは、何事も起きなかった。独走態勢のまま当りまえのようにドゥーハンが優勝し、阿部典史は8位とふるわなかった。もうひとりのチーム・レイニーのライダー、新鋭のセテ・ジベルノは初のグランプリ500ccクラスのレースながら9位にはいった。ピットに最初に帰ってきたジベルノに、拍手がわく。ウェインは満面の笑顔で彼と握手を交した。悔し涙を眼にためてもどってきた阿部は、おなじように
拍手でむかえられながら、ウェインのところへ行こうともせず、作業台の隅に座り込んだ。ヘルメットを脱ぐと、汗まみれの険しい顔があらわれた。車椅子にもどったウェインは、自分から阿部のもとへ行き、下からのぞき込むようにして顔を見上げた。
「タイヤの問題を抱えていたけれど、きみはよくやった。いい仕事をしたよ。とにかくポイントを稼ぐことができたんだからな。俺はハッピーだ。きょうの悔しさを糧に、つぎのレースに向けて頑張るさ」
ピットの出入口では、ウェインの父サンディが機材の片付けに追われていた。声をかけると、ほとばしるような笑顔で手を差しのべてきた。
「いいスタートが切れてよかったよ。なにしろなにもかもが新しくなって、最初のレースだったからね」
ウェインに会うと、彼もまたサンディと同様のことを言いながら、ノリックにはもうすこし経験を積んでほしい、と阿部のことをニックネームで呼びながらつぶやいた。
「今シーズン、ノリックはトップ3にはいると思っている。うまくいけば、チャンピオンの可能性だってある。ドゥーハンはずっと同じチーム、同じ人間関係でやって来て、いまもそれがつづいている。ノリックにはチームが変わるという大きな変化があった。しかし、だんだん時を経ていくうちに、チーム全体もよくなってくる。セテもこれからノリックのために、いろいろテストをやってくれる。チームワークをつくりあげていけば、チャンピオンの可能性だって生まれてくる。ノリックはヤマハのなかで、いちばんチャンピオンに近い位置にいるんだから」
真剣な面持ちで語るウェインを見ながら、経験を積んでほしいという意味も、うまくいけばチャンピオンをとれる可能性だってあるという意味も、それを語るのが彼であればこそ、いまの私には理解できるような気がしていた。
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