ケビンは湖へ行こうと言いだした。過去の話ばかりで、すこし退屈したようだった。私たちはレイク・トラヴィスという湖へ行き、かなり年長の彼の友人ふたりと合流し、3人で共同所有しているというクルーザーに乗り込んだ。それほど大きくない湖は、ダムでできた人造湖だった。ケビンは舵をとりながら、友人のどちらにともなく、ひどく砕けた言葉でなにやらまくしたてている。それはいま彼が取り組んでいるストックカーという四輪車のレースをめぐる話で、自分には実力があるのに、二軍戦ともいうべきレースにさえ出場できないでいるという苛立ちがこもっていた。今年から別の友人とふたりでチームの共同オーナーとなって、ノースカロライナに工場をもち、従業員10人とマシンを4台所有している。
「あと5年もすれば、全米でトップクラスになれるだろう」
 自信に満ちた表情で話している姿を眺めながら、いまだにモーターサイクルの現場で走りつづけているケビンと、それすらも叶わなくなってしまったウェインの明暗を思わないわけにはいかなかった。
 私たちは湖畔のレストランで夕食のテーブルをかこみ、夕陽がすっかり沈んだころに友人たちと別れた。市街地へもどる車のなかで、ケビンはおもむろに口をひらいた。
「ウェインがあのクラッシュに見舞われるまで、僕は2位だった。右手の怪我もずっと尾を引いていたから、チャンピオンをとれるかどうかむずかしいところにいたんだ。もしウェインが全レースを走っていたら、チャンピオンは彼のものだったんじゃないかと思う。僕にとってチャンピオンをとるということは、重要なことじゃなかった。そんなことより、ウェインが歩けて、レースをつづけてくれることのほうが、ずっと大事だったのさ。シーズンが終わってからウェインは、今シーズンのベストはケビンだ、と言ってくれた。僕は2位でよかったんだ。彼があんなことになるくらいなら.....」
 レースが終わりしばらくして、テレビ局のクルーが彼のもとへやって来た。これでチャンピオン獲得だね、と唐突に言われ、彼はいったいどういうことだと思わず聞き返した。ウェインの復帰が絶望だと知らされたのは、そのときだった。つづく13戦、レイニー不在のラグナセカで感覚を失った右手をかかえながら3位入賞を果たした彼は、念願のチャンピオンシップを手にしながら、表情は冴えなかった。
「このラグナセカでウェインと思いきり闘って、チャンピオンシップを決めたかった」
 どこか迷子になったような顔で、そんなコメントをのこした。サーキットから車で10分ほど山をのぼれば、そこはもうウェインの家である。だが、あるじはまだ帰ってはいない。イタリアから移送されたウェインは、ロサンゼルスのセンティネラ病院で再手術を受け、集中治療のベッドの上で管を通された姿でよこたわっていた。
「チャンピオンをとった時点で、2年契約をラッキーストライク・スズキと結んでいたんだ。94年、95年はやむなく走っていたというところだ」
 とケビンはハンドルを握りながら言った。
「シーズンオフに右手を手術したけれど、どうにも調子がわるい。スズキは僕がウェインのことでどんな気持ちになっているかわかっていてくれた。ちゃんと走りきれるかどうか保証できない、と僕も言っておいたんだ。そうしたら94年のシーズン開幕直前、マウンテンバイクでトレーニング中に転倒して腕を折ってしまった。それをみんな、なんてあいつは馬鹿なやつなんだと言う。あんまり腹が立ったもんだから、絶対チャンピオンシップをディフェンドしてやると意気込んだ。しかし、チームのみんなは、僕がもうまえのような気持ちで走れないことはわかっていた。やる気はつづかなかったんだ。
 95年になって、もうやめたいと言った。スズキやラッキーストライクは、僕のしたいようにすればいいと言ってくれた。君は君でなくなっているんだから、と。そして第3戦の鈴鹿を最後に、僕は引退した。つぎのイタリアのムジェロへ行って、ただレースを見ていたとき、ものすごく寂しくて悲しかった。でも、もう走れない。からだもこころも、ぼろぼろなんだ。はじめたことは、終わらさなけれなならない、自分自身の手で.....」
 車は山道をのぼり、峠にさしかかった。ケビンはわざわざ帰り道を選んでくれたようだった。星をちりばめたようなオースチンの夜景が、視野いっぱいにひろがった。窓を開けると、森の匂いと夜気につつまれた。あすはレースのことでいろいろと契約を交しにニューヨークへ行くのだと、彼は言った。
「ウェインに会ったら、よろしく言っといてくれ」
 夜が急に濃くなった。

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