1160エーカーもあるというケビンの牧場は、フェンスにそって1周すれば7マイル(約11km)になるというとてつもない広さだった。山荘風の堂々たる家が建ち、ガレージには2台のポルシェがある。私たちはしばらくのあいだ庭先のテーブルで話をした。晴れあがった空には、大きな鷲が悠々と舞っている。
 ウェインが4連破を目指した93年のシーズンを、ケビンはこれまでにない充実したコンディションでむかえた。オフシーズンのほとんどをテストに費やし、マシンの完成度にくわえ、着実にポイントを稼ぐための慎重さを身につけていた。実際シーズンに突入してみると、肝心のところで転倒し勝利をフイにしていたこれまでの姿は、微塵もなかった。魔境にあえぐウェインを尻目に、28ポイントのリードを築きあげてのぞんだ第10戦イギリス・ドニントンパーク、ふたりの物語はこのときのレースに集約されるかもしれない。
 私はウェインの話を思い出している。
「ドニントンで僕は、決勝ではなんとしても最前列からスタートしたいと思っていた。ケビンには28ポイントの差をつけられている。僕のマシンは、サスペンションにまだ問題があったが、予選ではいいタイムを出そうと懸命に走った。そしてクラッシュした.....。背骨にひびがはいり、手の爪を全部剥がしてしまった。脳震盪を起こし、起き上がってもふらふらした。予選の結果は8位、決勝はグリッド2列目からのスタートだ。翌日の決勝の朝、眼が覚めて首をまわしてみたけれど、まだ頭がぼんやりしている。ウォームアップでマシンに乗ってみたら、ケビンたちより3秒も遅かった」
 ポールポジションを獲得したのは、ケビン・シュワンツだった。予選では2秒近くの差をつけられていた。背中がいけないのか、手がだめなのか、いや視界がぼやけているのがいけないんだ、とウェインは思 う。モーターホームに閉じこもり、傷ついたからだをベッドによこたえながら、彼は血のジャムを煮立ててひとつの考えに没頭していった。
「もしここでレースに出なければ、ケビンを楽に勝たせてしまう。しかし自分がレースに出れば、なにかが起こる。視界がはっきりしないから、ほかのライダーを抜くことは不可能だ。チャンスはスタートしかない。第1コーナーに最初に飛び込んで最後まで独走する、それしかない。最初の1周はタイヤが温まっていないから、だれもそんなに早くは走らない。こうすれば勝てるんじゃないか.....」
 この種の追いつめられた状況が自分は好きなのだ、と彼は言った。
「ひとつのチャレンジだからさ」
 ウェインは決勝に出た。スタートは1速ギアではなく、2速で行った。賭けである。うまくいった。第1コーナー進入時には2番手につけた。ホールショットを奪ったのはアレッサンドロ・バロスというケビンと同じチームのライダーだった。ことろがバロスがささいなミスを犯してくれたおかげで、ウェインは難なくトップに躍り出る。すぐうしろにはそのバロス、ケビン、マイケル・ドゥーハンがつづく。そしてウェインの言う「なにか」が、まるで予言のように起きた。バックストレートの終わりでの出来事だった。ケビンが 言う。
「ポールポジションを得た。一気にウェインを引き離そうと考えていたんだ。完璧なレースを期待していたんだが.....まさかあそこでクラッシュするとは思わなかった」
 それはケビンのミスではなかった。猛然とアクセル開けて走るウェインに後れをとるまいと、焦ったドゥーハンが転倒を喫し、彼のリアに突っかけたのだ。ケビンは空中に弾きとばされ、背中から路面にたたきつけられた。バロスも巻き添えをくらい、3台が路上に砕け散った。
 最終的にウェインは2位でゴールし、28あったケビンとのポイント差を、8に縮めた。満身創痍という負荷をまるで楽しむようにおのれの力として転化していくウェインの精神が、ドゥーハンからミスを誘いだし、ケビンを巻き込んだということになる。
 ケビンは悔やんでも悔やみきれなかった。わずか1周目にしてノーポイントに終わったばかりでなく、右手に怪我を負ったことが重くのしかかってきた。すこし走っただけで指先の感覚がなくなってしまう。血液の循環が悪化し、神経が圧迫されていることから起こる深刻なトラブルだった。彼は、しかし、公表を避けた。
「ウェインの存在があったからさ。彼はどんなささいなことでも、みずからのやる気に変えてしまう男なんだ。ほかのライダーにとってたとえ不安材料になることでも、彼はそいつを自分自身を高めるための材料にできる数少ないライダーだ。だからなおさら、怪我のことはずっと隠していた」
 ライバルはライバルを知りぬいている。それにしても、つぎの第11戦チェコで彼が本調子であったなら、ウェインはあれほどまで不幸な感情にとらわれずにすんだことだろう。ケビンは5位に終わり、独走優勝をとげたウェインにやすやすと11ポイントのリードを許した。そして、あのミサノの悲劇をむかえるのだ。

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